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No. 8504
伊丹豪/ Go Itami: ( this year’s model ) special edit ver. 2018
15,000円(税抜)

イメージに中心を持たせないということを常々意識している。中心がないというのは、イメージを構成する種々の要素に優劣をつけるのではなく、なるべく並列して見せるということである。
そもそも写真は複製であり、写ってしまったものは本質的に優劣のつきようがなく、等しく等価なはずである。
しかし、そこには少なからず技術(テクニック)が存在し、その技術を用いることで、等価なはずのイメージに優劣をつけたように見せることが可能になる。
撮影者はこの技術でもってイメージをコントロールするのだが、ここでいう技術とは、言い換えればイメージを決定付けている、写ってしまったものの配置であり、構図であり、ピント位置であり、つまりは構成要素に対する意識の使いかたである。

‘this year’s model’という作品はこの技術をシンプルなルールと化すことで成立させた作品であると言える。
中心の喪失を常に念頭におき、見知っているはずのものを抽象的な平面へと置き換えたこの作品は、発表から4年が経過し、新たなデザイナーの手によって物理的な意味でも中心を消失してしまった。
写っていたはずの、在ったはずの中心が消えることで、視線は更に四隅に向けて、そして細部へと向かうことになり、細部が新たな細部として立ち上がり、中心の有り様が変容する。
撮影者である自分には、この物理的な中心の喪失は、自分の技術の癖を再認識させられるものであるし、また、中心と呼んでいるもののあやふやさを突きつけられるものでもあるし、翻って、どうしても存在してしまう、画面の構成を考える上での物理的な中心の存在を突きつけられるものだった。
どこまでいっても写真とは、四角い窓に規定された、私と世界の関係性であり、そしてカメラという光学機器が記録した化石の様なものだ。
消化したはずの、過去の自分の化身が色鮮やかな穴を携え、未だにこちらを挑発している。

伊丹豪


人は世界を四角く切り取る事で、
目の前の事実をより明確に、より創造的に理解しようと試みてきた。
写真が四角いのは、人間が “見る” という本質的な行為において、
最も適したフォーマットであるという事はこれまでの歴史を見ても明白である。

今日の写真は、そのほとんどが四角を意識した瞬間にシャッターが押されている。
どんな写真であれ、そこには四角く世界を切り取る事を前提とした意識が介在している。

伊丹 豪もまた、その意識が強く介在している写真家の一人である。
彼の代表的な作品である‘this year’s model’は、どれも明確な対象の輪郭が存在し、
縦に意識的に切り取られた四角の世界が、その対象をより強いイメージへと定着させている。
そしてその対象は、どれも四角の中心を軸として構成される。
一見、中心と対象が離れている写真にも、そこには緊迫した間が存在する事で、その写真を成立させている。
つまり四角く切り取られた世界の中心にこそ、写真家の強い眼差しは注がれているとも言えるだろう。
では、彼が捉えようとしたものの外側にあるものはいったい何なのか。
私は四角く切り取られた写真の中心を、あえて丸く切り取る事を選択した。
それは彼の特徴でもある、直線、面、レイヤー、連続といったイメージから逃れる為であり、
写真家の意図や意識を超える事で、既に了承したイメージを再解釈する事ができるのではないかと考えたからだ。
写真の中心を無くすという事は、同時に“見る”という行為自体をも変容させる。
見るべき中心を失った写真から浮かび上がる周囲のディテールに、視線は新たな像を探す。
そうする事で、今まで見ているようで見えていなかった像が顕在化され、
まだ見ぬ新たなイメージへと昇華されるのである。

この本は、写真のあるべき可能性を希求する試みである。

デザイナー 蘯射人

8分限定 60p 38x27cm ソフトカバー 2018